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福島地方裁判所平支部 昭和29年(わ)154号 判決 1958年8月18日

被告人 伊藤儀作

主文

被告人は無罪。

理由

第一、要約

鉱山保安法(昭和二七年法律第二七六号による改正前のもの。以下同じ。)第五六条第五号は、一種の身分犯であつて、鉱業権者(または鉱山労働者)だけを処罰の対象としていると解すべきであり、また、同法第五八条は、違反行為者が、本来前三条により処罰の対象となり得る場合に、前三条により当該違反行為者を罰するほか、事業主である法人または人をも、更に処罰できることを定めた規定にすぎず、前三条の違反行為をしたけれども元来処罰の対象となり得なかつた者をも処罰できる趣旨に解すべきではないから、鉱業権者ではなかつた被告人の所為は、罪とならず、刑事訴訟法第三三六条前段により、判決で無罪の言渡をすべきものである。

第二、本件公訴事実及び罰条

(イ)  主訴因

被告人は、福島県双葉郡広野町大字上浅見川所在株式会社石川炭礦の鉱業代理人であり、同炭礦は、昭和二六年五月四日東京鉱山保安監督部平支部長より、その全坑について出水のおそれある石炭坑として指定を受けたものであるが、

第一、昭和二六年九月一三日頃まで前記石川炭礦本線右一片掘進に際して、掘進方向及び肩部に水没旧坑の存在が予想されていたのにかかわらず、先進ボーリングをし、かつ、防水えん堤その他の防水設備を設けず、

第二、同年九月一二日頃前記石川炭礦に入坑する採炭夫額田藤吉外七名に携帯用電燈を携帯せしめず入坑させ、

第三、同年九月一三日頃まで前記石川炭礦において坑内事務所及び坑外事務所から坑内の各作業区域等ならびに近接する各作業区域相互間に警報を伝達する直通電話または警報装置を設けなかつた

ものである。

(ロ) 主訴因に対する罰条

全般にわたつて鉱山保安法第四条第三〇条第五六条第五号

第一の事実について 石炭鉱山保安規則(昭和二六年通商産業省令第七四号による改正前のもの。以下炭則と略称する。)第三九五条第三項

第二の事実について 炭則第三九六条の二第三九〇条

第三の事実について 炭則第三九六条の二第三八八条第一項

(ハ) 予備的訴因

主訴因中、冒頭の「……石炭坑として指定を受けたものであるが、」の次に「鉱業権者石川炭礦の業務に関し、」を挿入したほか、主訴因と同一。

(ニ) 予備的訴因に対する罰条

主訴因に対する罰条として掲げた各罰条のほか、全般について、鉱山保安法第五八条を追加。

第三、主訴因及び罰条に対する判断

(一)  鉱山保安法は、第一条に同法の目的を掲げ、第二条に鉱業権者等の意義を定め、第四条において、鉱業権者に対し出水等の事故防止その他鉱山保安等のため必要な措置を講じなければならないと命じ、その講ずべき必要な措置の具体的内容については、第三〇条において、これを省令に委任し、この委任に基いて、炭則は四〇〇条にのぼる詳細な規定を設けている。この炭則は、第二条において鉱業権者等の意義を定め、第四二条以下数条には、他の箇所で規定しない鉱山労働者の守るべき事項を定めたほか、第八四条、第一三五条、第一四九条、第一五七条、第一六九条、第一九四条、第二三九条、第二六六条、第二八六条、第三一〇条、第三七九条等各章節の冒頭において、鉱山保安法第三〇条に基いて同法第四条の鉱業権者の講じなければならない措置はその章節内の第何条に定めると明示し、また、同法第五条の鉱山労働者の守るべき事項は第何条に定めると明言している。本件に直接関係ある炭則第三九四条にも、同趣旨の規定がなされ、鉱業権者がその主体となつている。これら鉱山保安法及び炭則の各規定を通観してみると、鉱山保安法の下においては、鉱業権者の講ずべき措置と鉱山労働者の守るべき事項とは、截然と区別されていることが観取できる。(もちろん、事項によつては例えば炭則第二五三条第二五四条のように、鉱業権者も鉱山労働者も共に守らなければならないものと定められている規定もある。)換言すれば、鉱山保安法においては、その各個の規定を遵守すべき義務者が特定されている。すなわち、特定の条項に対しては、鉱業権者という特定の身分を有する者だけが、その処罰の対象とされていると解せざるを得ない。

(二)  以上のように、特定の身分を有する者だけが処罰の対象とされていると解したからとて、その身分を有しない者がそれらの規定を遵守しなくてもよいというわけではない。鉱山保安の見地からすれば、鉱業権者を頂点とする全企業体内の者はもちろんのこと、企業外の者といえどもこれらの保安法規を遵奉すべき義務がある。しかしながら、鉱山保安法は、その第一七条違反に対して罰則を設けていない点からも十分窺われるように、右のような一般的義務の存在を前提としながらも、保安法規違反者は何人といえどもすべてこれを処罰の対象とする程の必要はなく、特定の事項については、特定の身分を有する者だけを処罰すれば足り、その身分を有しない代行者や事実行為者に対しては、違反の態様により、或いは狭義の刑法上の責任を問い、或いは民事上の責任に止め、或いは企業体内部の規律違反としてその制裁に委ねた趣旨と解すべきである。

(三)  更に別の見地から考察すると、鉱山保安法は、旧鉱業法(明治三八年法律第四五号)同法施行細則(同年農商務省令第一七号)鉱業警察規則(昭和四年商工省令第二一号)石炭坑爆発取締規則(昭和四年商工省令第二二号)等の鉱山保安関係法規に代わるものとして制定されたのであるが、旧鉱業法施行当時において、旧鉱業法第百三条旧第百四条旧鉱業法施行細則第七三条鉱業警察規則第七九条ないし第八二条石炭坑爆発取締規則第三〇条ないし第三三条(以下この種規定を便宜上転嫁罰的規定と呼ぶ。)の解釈に関聯して、鉱業権者またはこれに代わる者を処罰するに際して、その処罰される原因となつた事実行為者をも合わせて処罰できるかどうかについて説が分れており、右の転嫁罰的規定を捨てて鉱山保安法が採用した同法第五八条(以下この種規定を便宜上両罰的規定と呼ぶ。)と同種の規定の解釈についても、事実行為者を処罰できる論拠について種々の説があつたのであるから、鉱山保安法制定に際しては、これらの点について疑問の余地のないような立法をなすべきであり、また、その意図さえあれば、法文作成技術の上では極めて容易なことであつた筈である。しかるに、一方では、前にあげた炭則のように、他に余り例のないような立法形式で、特定の事項については特定の者が義務者であることを強調しておきながら、他方では、転嫁罰的規定を廃棄し、代えるに身分犯説を否定し去るにはなお多くの疑点を残す両罰的規定を設けただけで、他に何等の解決策もとらなかつたことは、前示のように、鉱山保安法は処罰の対象を特定の義務者に限定したものと解する一論拠となるであろう。

(四)  被告人が鉱業権者でないことは、訴因自体からも明白であるから、被告人に対し、主訴因に対する罰条を適用できないわけであるが、被告人が「鉱業の実施に関し、鉱山保安法およびこれに基く省令によつて鉱業権者が行うべき一切の手続その他の行為」を委任されていた鉱業代理人であり、また、同時に鉱長でもあつたので、この事実から、被告人を鉱業権者と同視して処罰の対象となし得るのではないかという疑問が存する。しかしながら、旧鉱業法施行細則第七三条等のような明文の規定があるならばとにかく、このような規定を捨て去つて顧みない鉱山保安法のもとにおいては、鉱業権者が法人であつて現実の行動はすべて鉱業代理人によつて行わざるを得ない本件のような場合においても、代理人はあくまでも代理人であつて、鉱山保安法が明確に定義した鉱業権者の身分を取得するいわれがない。鉱業代理人の保安に関する代理権限等に関する省令(昭和二七年通商産業省令第五九号による改正前のもの。)も、旧鉱業法施行細則第五四条が廃止されるに伴い改正されて、鉱山保安法に関する鉱業代理人が一種の委任代理人である性格を一層明確にしており、前の旧鉱業法施行細則第七三条が廃止されたことと相俟つて、鉱業代理人を処罰の対象としていないことの証左にこそなれ、この解釈の妨げとなるものではない。

(五)  もちろん、鉱業代理人といえども、鉱業権者と共犯関係にあるときは、処罰の対象となり得る場合があるのであるが、この点は、本件訴因に関係がないから触れない。

第四、予備的訴因及び罰条に対する判断

鉱山保安法第五八条は、企業主である法人または人と特別の関係にある代表者、代理人、従業者等がその「業務に関し、前三条の違反行為をしたときは行為者を罰する外、」法人または人をも処罰できる旨規定しているが、この規定によつて被告人を処罰することはできない。

けだし、同法第五八条は、本来前三条の構成要件に該当する行為をした者に対しては、まさにその故をもつて前三条を適用して処罰することができるほか、代表者、代理人、従業員等がその企業主の業務に関し、前三条の違反行為をしたときは、更に加えて、企業主である法人または人をも、処罰できることを主眼として定めたのであつて、第五八条により、従前その身分を有しないために処罰の対象となり得なかつた者が、突如として処罰の対象となり代わることを定めたものとは解せられないからである。

第五、余論

以上のように解すると、鉱山保安法の対象となつている鉱業権者の大部分は法人であり、従つて、事実上鉱業権者と同様の立場にある鉱業代理人を処罰できないことになつて、鉱山保安の実が挙がらず、鉱山保安法中罰則を設けた趣旨が没却されるという非難を受けるかも知れないが、これは立法の不備に帰着し、これを弥縫するために便宜的な解釈をすることは許されないというべきである。

なお、本件は、起訴状に記載された事実が真実であつても、何らの罪となるべき事実を包含していない場合に該当し、決定をもつて公訴を棄却すべきではないかという疑問が生ずるが、既に説示したように、本件は種々説の分れる事案であつて、何らの罪となるべき事実を包含していないことが一見して明白な場合とは異るので、刑事訴訟法第三三六条前段により判決で無罪の言渡をする次第である。

(裁判官 福森浩)

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